あの不思議な森を発ってから、数日。
まだ次の街には着かず、野宿を繰り返しながら。
事あるごとに、の意識に浮かぶ精霊の言葉。

前方で、持ち霊と何やら言葉を交わしている、彼の姿を見つめる。

『どんなに離れても、また逢いたくて。どんなにつらくても、嫌いになれなくて。気恥ずかしくなったり、どきどきしたり…時には眠れないほど、気になって気になって仕方がなくなる。相手の顔を見る度、どんどん膨れ上がっていく。そんな気持ちを、人間は恋って呼んでたよ』

気付けば、目で追ってしまって。
気になって仕方がなくて。
たとえ―――その目が、自分に向けられないのだとしても。

頭から。
彼の姿が、消えないのだ。

(恋、かあ…)

このとき初めて、は他に同性の者がいないことを残念に思った。
アンナやピリカ、たまおならば…何か相談できたかもしれないのに。
今まで一度たりともそんなこと気にしなかったのに、何故だかこの事についてだけは、異性に打ち明けるのを躊躇ってしまう。
精霊達だってもういない。

それもまた、新しい己の発露。

だが、今ここにいない者のことを悔やんだって仕方がない。
ならばこのメンバーの中で、相談できるのだとすれば……誰だろう。

不意に浮かんだのは、ふわりとした、穏やかな笑顔。
年恰好は他の面々とそれほど変わらない筈なのに、どこか深みを感じさせる雰囲気。
各言う自分も、日本にいるときから世話になっている。
アンナと許婚の関係を持った―――麻倉葉。

は心を決め、葉の元へと走り寄った。










「―――う、うぇえ!?」

突然真っ赤な顔で、葉が素っ頓狂な声をあげた。
前を歩いていたホロホロ達が、不審そうに振り返り――葉は慌てて曖昧な笑みを浮かべ、誤魔化す。
そして、大声を上げる原因を作った隣の少女に、小声で尋ねた。

「な、なんだよ…お前、急に」
「ご、ごめんなさい…」

(まさかそんなに驚くなんて…)

しゅん、と項垂れたに、「うー、あー…まあ、いいけどよう…」と葉も明後日の方を向いた。
だが尚もその頬は、赤く染まったままだ。
明らかに照れている。

そんなにおかしな質問を、自分はしたのだろうか?
は少し心配になる。
だって、ただ―――

『ねえ、葉………恋、って…なに?』

と、さり気なく尋ねただけだったのに。
そうしたらこの反応だ。
もしかして自分は、とても大変なことを質問してしまったのだろうか。
やはりこういうことは、同性の者に相談した方が、良かったのだろうか。

うつむき加減になってしまったに、葉が慌てて、

「てか、何でそんなこと訊くんよ」
「……なんで、かなあ」
「何だそりゃ」

葉が苦笑した。
自身、困ったように首をかしげる。

本当になんで、だろう。
何故か無性に――誰かに相談したかったんだ。

「………」

そんな彼女を、葉は頬を掻きながら、しばし見つめていた。










昼を過ぎた頃になって、やっと木々が少なくなってきた。
それにつれて車を見かける回数も増えた。
もうしばらく歩き続け―――
一行は、ようやく街へ出た。










「ここは結構大きな街だなあ」
「みたいっすねえ」

人通りの多さに葉が目を丸くしていると、竜も隣で頷いた。
綺麗に舗装された道を歩く。
背の高い建物が多い。
広いところまで出ると、一旦葉が立ち止まり、後ろを振り返った。

「うし、今日はここで休むことにするぞ」
「了解!」

一人飛びぬけて元気なホロホロが言った。
それに続いて、蓮もフンと鼻を鳴らす。
どうやら異存はないらしい。

「リゼルグ」
「…うん? なあに、
「―――おつかれさま」

パッチ村を目指すシャーマン達の気を探り、自らもそれを追う。
そしてそれを先達て遂行するのは、他でもないダウジングの名手リゼルグ。
まだ最終的な目的地に到着していないとは言え、ここまで来れたのもひとえに彼の働きのおかげだ。

リゼルグは一瞬瞠目した後、「どう致しまして」と笑って、の頭をくしゃくしゃと撫でた。
パッチ村への焦りが少しだけ隠れる。
笑顔を見せられるだけまだ大丈夫なのだろう。

「ありがと、心配してくれたんでしょ?」
「…えっ、あ、その…」

どうやら見透かされたらしい。
真っ赤になるに、リゼルグはくすくすと喉を鳴らした。

また。
耳の奥で、心臓の音が、うるさい。
それを悟られないよう、はぎこちなく俯いた。

こうやって触られると…
嫌じゃないのに、何故か落ち着かなくなってしまう。

「…!」

ふと視線を感じて見回すと―――何と、蓮と目が合った。
でもすぐにふい、と外されて。

―――胸が、ずき、と痛くなる。

(……蓮)

その痛みを抑えるかのように、はぎゅっと両手を握り締める。
まだまだ未知の感情だった。



でも――
そういえば、最近蓮と目が合うことが、多くなった…気が、する。
あくまでも気がするだけだ。
単なる気のせいと言ってしまえば、それまでだけれど。



「――ってことで、これから買出し組と宿取り組と分かれたいんだが…何かやりたいやつ、あるか?」
「あ…じゃあ、僕買出しに行くよ」

葉の問いかけに、手を挙げたのはリゼルグだった。

「お前一人じゃ大変だろうから、もう一人は――」
、一緒に行こう」
「…え?」

唐突に誘われて、は面食らった。
今の今まで思考に沈んでいたのもある。

同じく一瞬驚いた顔をした葉だったが、すぐに笑顔になると「どうする、?」と尋ねてきた。

(…え、と)

わたわたと見回して――

それは、強いて言うならば、ただの癖だった。
困った時につい見てしまう。
自然に。
目が動いてしまう。

ばちん。

再び―――蓮と目が合った。

日本にいた頃からの癖だった。
最近はなりを潜めていたのだが、咄嗟に出てしまったらしい。

「ッ…」

蓮が慌てて目を逸らす。

……なにしてるんだろう、わたし
何もわざわざ自分から、傷つきにいかなくたって。

「――

リゼルグの優しい声が聞こえる。

「うん…いっしょに、いく」

は小さく頷いた。












□■□












リゼルグと向かったのは、大き目のスーパーマーケット。
たくさんの人が出入りして、とても賑やかだった。
飲料水を担当するホロホロと竜と途中で別れ、リゼルグとは食料を物色しに行った。

「…わ、ぁ…」

保存食料のコーナーへ向かう途中、何やら極彩色で彩られた棚に差し掛かり、は驚きの声を上げた。
色鮮やかなパッケージが多くて、目が回りそうになる。

「ここはお菓子のコーナーみたいだね。…、買出しって初めて?」
「うん……今までは、泊まるとこ、さがしに行ってた」

と、物珍しそうにきょろきょろと見回すに、リゼルグはくすりと微笑んだ。

「何か、少し買ってく?」
「え? う、ううん、いい。だいじょうぶっ」

慌てては首を振った。
今は携帯用食料を買いに来たのであって、菓子を買いに来たのではないのだ。
こまごまとしたものを見る度に買っていたら、収拾がつかなくなりそうだった。
リゼルグも「そう?」と言うと、の後に続いて奥の棚へ足を進めた。





てきぱきと買い物は滞りなく進み、二人がスーパーを出た頃は、集合場所として予め決められた広場に向かうに丁度良い時間だった。
二人とも、両手には大きな袋。
流石に買い溜めとなると、量も其れ相応のものになる。重さもまた然り。

、持てそう?」
「うん…だいじょうぶ」

確かにそれなりの重量が、肩にずしりとかかってくるが…かと言って全く運べない位重い、というわけでもない。
は腕に力をこめながら頷いた。
少し重心が不安定だが、そればかりはどうしようもない。
リゼルグはそんな彼女を見つめると、「」と不意に名を呼んだ。
なあに、と言おうとして―――

ぽん、と何かが口に放り込まれる。

「!」

びっくりしては口を押さえた。
口の中にとろりと濃い甘みが広がる。

「…これ…」
「びっくりさせてごめんね。さっき、興味津々だったでしょう?」

と、笑いながらリゼルグが見せたのは、カカオ豆が描かれた茶色い箱。

「ちょこ、れーと…?」
「うん。チョコはね、眠気を覚ますと同時に気持ちを落ち着かせてくれるし、血糖値が下がった時なんかに食べるといいんだよ」

つまり元気になる魔法の薬だね、とやや悪戯っぽく言うと、リゼルグ自身もその茶色いカケラを口に運ぶ。
はしばらく口内の甘みを味わって、最後にごくんと飲み込んだあと、口を開いた。

「ありがとう…」
「いいよ、久々に僕も食べたかったし。甘いものを補給したところだし、じゃあ頑張って荷物を運んでいこうか」
「うん」

するとそこへ、ホロホロ達が合流した。

「よぉーっ、見ろよこれ! 安くなってたんだぜ」

と、ホロホロがこれまた大きな袋に入った飲料水を掲げた。
その隣で、竜も得意そうに胸を張る。

「目ざとい俺の眼力のお陰だぜ」
「ああ!? 何言ってんだ竜、見つけたのは俺だろーが!」

またにらみ合いを始めそうな二人を、リゼルグが「まあまあ」と宥めた。
その顔には、苦笑が浮かんでいる。
も、思わず笑ってしまう。

「おつかれさま。ホロホロ、竜さん」
「おう! ………じゃ、行くか」

ホロホロがにかりと笑うと、一同は集合場所へと向かった。




















「…ねえ、リゼルグ」
「どうしたの?」

のんびりと歩きがてら、は隣のリゼルグに尋ねた。

「さっきの…えと、ちょこ、れーと? …は、日本でも売ってるのかなあ」
「え?」

リゼルグが目を見開く。

「もしかして…チョコ、食べたこと、ないの?」
「う、うん…」

お菓子自体あんまり食べたこと、ない…と恐る恐るリオは頷いた。
しばし唖然とした表情のリゼルグだったが、すぐに、

「…あ、そっか。シルバさんによれば、日本にいた頃のは―――『うまれたばかり』、だもんね」

と納得すると、「大丈夫、売ってるよ」と笑顔で言った。
その言葉に、の顔がぱっと明るくなる。

「えっとね…さっきの、あれ…すごく、おいしかったから。だからどこでも売ってるのかな、って」
「売ってるよ。世界中で。僕の祖国にもある」
「わあ」

食べてみたいなあ、と珍しく好奇心を刺激されているらしいの様子に、リゼルグはふと、かねてから気になっていたことを尋ねてみた。

は……日本でどんな風に暮らしていたの?」
「え…?」

唐突な質問に、びっくりしては隣を見やる。
どうして急にそんなこと…
途端、翡翠色の真っ直ぐな双眸とぶつかった。

とくん。

――――嗚呼、また。

「日本でのこと…がそこで、感じたこと。思ったこと。何でもいいよ。教えてほしいな」

そういう彼の口調は、ひどく柔らかかった。












□■□












一方、宿取り組である葉と蓮は。

「ふいー、何とか見つかったな。良かった良かった」
「貴様が途中でのんびりしていたせいで、危うく取り損ねる所だったではないか」
「まあ、まあ。そう言うなよ。過ぎたことばっか気にしてたら禿げるぞ」
「余計なお世話だ!」

何とかぎりぎり手頃な宿を見つけた二人は、手配を済ませ、表の大通りを歩いていた。
すたすたと早足で歩く蓮を、葉が追いかける。

「そんな怒んなよー」
「うるさい」

葉が唇を尖らせると、蓮はますます早足になった。
その背中からは、不機嫌さがはっきりとにじみ出ている。
はあ、と葉がため息をついた。

「蓮、お前…なんか今日怒りっぽいぞ。何かあったんか」
「気のせいだろう」

と、相変わらず取り付くしまもない。
だが。

「…か?」

ぴくん、と微かに蓮の肩が揺れた。

「お前ら、最近またおかしいぞ。…こないだ仲直りしたと思ったら。今度はどうしたんよ」
「………」
「…おい蓮、」
「何でもない」

ぴしゃりと遮る。
その意外なほどの冷たさに、さすがの葉も口を噤んだ。

蓮はそれから一度も振り返ることなく、ひたすら無言で歩いた。



――――嫌でも思い出してしまう。



思いきり眉尻を下げて。
最初は泣きそうになっているのかと思ったら違った。
困っている時。戸惑っている時。
決まってあいつはそんな顔をして、俺を見上げた。
そして、俺はやれやれとため息をつきながら、それでも不愉快な訳でもなく、手を差し伸べていたんだ。
あの頃は。


それは、日本での記憶。
過去の映像。
まだこんなにも――はっきりと、染み付いてしまっている。

自分の女々しさが本気で嫌になる。



何のために彼女を突き放したのか。
何のために彼女と距離を置いたのか。



…彼女にあんな顔をさせてまで。



なのに自分がこんな風に思っていたら。
断ち切れるものも、断ち切れない。

自分と一緒にいると彼女にとって負担になる、それが、嫌だったからじゃないのか。

忘れるな、忘れるな。
揺さぶられてはならない。
たとえ何が起ころうとも。

それがいつか、彼女のためになるならば。

(―――そういえば)

ふと、思い出す。
先日の、精霊の森でのことを。

洞窟内で眠っていた彼女。
まだ夢の残滓を抱えたまま……彼女は何を、自分に伝えようとしていたのだろう?

『つたえたいことが、あるの』

あの時彼女は、夢と現実の境をはっきりと認識しておらず、それ故に目の前の自分を『以前の蓮』として話しかけてきたのだろうが。
ならば、その以前の自分に。
彼女は一体、何を言おうとしたのか。

『あとで、いうから…』

そう呟いた彼女の顔は、今まで見たこともないくらいに、幸せそうだった。



…嗚呼、駄目だ。
またかき乱される。



忘れよう。

この先その続きを聞くことは、絶対にないだろうから。

「………」

蓮は黙々と足を進めた。
心なし、更に早くなる。
その後ろでは、葉が心配そうに蓮の背中を見つめながら、半ば駆け足で追いかけていた。